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疲れたけど、
明日から新生活。
止まってなんかいられない。
楽しみを見つけていこう。
なんか疲れた
とてもとても疲れた
わたし幸せなのかな
わからない
仕事ってなんだろう
わたしにとって仕事とは、
一言で言えば、
自分を高められるツールであり、
自分という人間の可能性を広げるための場所。
子供達と一緒にいる時間には味わえない、
社会人として大人社会を生き抜くためのスキルをより一層磨ける場所。
そんな仕事場には様々な人間がいる。
「厳しい入社試験を通り抜けてきたから、それなりに学もあり、一般常識や、協調性もあるだろう」という、ある種の性善説に基づいた考えでこの会社と仕事場を見てしまうと、それなりに絶望する。
やはり、多種多様。社畜のように会社のため、お客様のために働く人なんて、なかなかいない。自分の利益を守るため、名誉を守るために、働いている人がほとんどだから。
わたしは、自分で言うのもなんだけど、
社畜の部類に入る。もちろん、自分のことだって、守ることもある。でもそれはこの会社で働き続けるために、誠実に働いているつもりでも、時にはミスを犯すこともあって、そんな時にクビにならないためにも自分を守らなければならないことだってあるからだ。
わたしの経歴を考えれば、なぜわたしが社畜になれるのか、わかると思う。
三回の産休育休を取っても、復帰させてもらえて、働かせてもらえているという、感謝の気持ちがあるから。
こんな休みだらけの20代を過ごさせてもらったのに、文句は言えない。最初はこの一言に尽きた。
でも今ははっきりとわかる。
この会社に、一緒に働いてきた人に、恩返しをしながら、自分という人間を高めていけるこの状況に、魅力を感じているから、他人や会社のために働こうと思えるのだと。
winwinになれば、それでいい。
自分も、他人も、会社も。
虚無感
わたしは何がしたいんだろう。
そう思い始めてから1週間経つ。
家事育児仕事の三足のわらじを履いていると、そんなことを思いながらも、じっくりと考える時間もなく、瞬く間に時は過ぎ去る。
ルーティンワーク。
慣れ。
今はこの決められたサイクルの中で、決められたように動く毎日を過ごす。
ただ、後に残るのは、虚無感。
他の何物でもない、この虚しい疲労感。
どうなりたいのだろう。
ただ、1つ改めて気づいた事がある。
母として、子と接しているその時、幸せを感じる。
一番下の子が3歳をすぎて、
ようやく、
いまさらだけど、
すごく子供達が愛おしい。
わたしのこの虚無感を埋めてくれるのは
やっぱり
子供達なんだろうな。
文句の多いヒトヘ
起床
とてもとても体が、心が疲れてる。
つらい、とてもつらい。
無気力。
起床した瞬間、仕事の休み方を考える自分がいた。
もっとスローペースでやらなきゃいけない。
家事も育児も仕事も。
でも、動いてしまう自分がいる。
時間は限られている。
その中で最良のパフォーマンスをしたい。
そんな完璧主義では、生きづらいことはわかってる。そんなだから、一度ダメになったことも、わかってる。またああなりたいわけではない。
でも、体は動く。勝手に。
そしてどうしようもない疲労感に苛まれる。
何がしたいのかわからない
わたしは3人の子育て中の、ワーママです。日々、家事、子育て、仕事に奮闘してます。
昔から忙しいのが大好きだったから、この忙しくもメリハリのある生活は、自然と受け入れられて。今も、これからも、この生活を続けて行くつもり。
でも、とてもとても、無気力なんです。
何か胸がモヤモヤするし。心の底から笑えてないし。
ただ、もうルーティンワークになってる育児や家事は、やる気がなくても体が勝手に動くような…。子供の顔見たら、なんか自然と体が動く。「ああ、やらなきゃ、わたしがやらなきゃ」、というように切羽詰まってる訳でもなく…ですね。
わたしは何がしたいんだろう。どうなりたいんだろう。
このブログを書きながら自分探しができたらいいなと思います。